●針畑生活資料研究会の活動●

 

1974年   京都精華短期大学美術科デザインクラス(現京都精華大学デザイン学部)丸谷研究室を中心に活動開始
1977年 「朽木村昔話記録 針畑・麻生編」(出版) 
1979年 「針畑生活資料研究会」設立
1981年

「草鞋づくり」朽木村針畑の生活記録1(8mm color 全5巻 86分)  
 ・ゴンゾワラジ篇 25分 
 ・チチワラジ篇 14分 
 ・ユキワラジ篇 18分  
 ・アシナカ篇 15分 
 ・アシナカワラジ篇 14分
 

  女性が主に 履くゴンゾワラジを中心に、ワラ工品の記録をすすめる。口、手、足と全身を使っての製作工程は、その技術と手業の早さに圧倒される。家族の成長にあわせて 、みごとに作り手の体の中に人間尺が生きている。家族の絆が、手のスケールから伝わり、製作の構造とデザインに作り手の優しさが残る。
 
1984年

「テゴをつくる」朽木村針畑の生活記録2(16mm B/W 28分)

 稲藁はムラの生 活にはかかせない大切な生活素材であった。稲を作るよりも藁をつくるといわれるほど、生活文化の基層をなしていた。針畑川沿いの小さな一枚の田で、手作業 で田仕事をしている老夫婦。苗代から稲刈りまで、1年の稲の成長を追いかける。生産物としてのワラを使って「テゴ」をつくる。テゴは現在も野良仕事で腰につ けて使用されている。主に落ち穂拾いのために。
 
1989年

「ベベ」朽木村針畑の生活記録3(16mm color 40分)

 イヌガヤの実を 採集し、各家で、集落によっては共同で、燈火用油「べべ」を搾っていた。電灯が引かれる昭和24年ころまでのことである。欅製の搾油器であるベべウスをモチ ーフに、敗戦後40年の間の、べべ山の変貌、村の共同体、家族の構成の移り変わりをみようとした。これらの道具を通して、村の生活と里山との分断の状況を描 く。かつて、ベベの実を採集し、自家製以外はマチヘ売りに行く。師走に入ると、片道25kmの山道を朝の3時に起きて、峠を越えマチへ売りに行く。これらの労働 は、女性たちの仕事としてまかされていた。1985年から1989年までの記録。
 
1990年

「シナリオ「べべ」」(木野評論)

 
2000年

「ハルとのの」朽木村針畑の生活記録4(16mm color 55分)

 「べべ」以降の 針畑の村の変容を見つめながら10年が経過する。親しくしていたお年寄りたちが村を離れて行く。過疎化が進むなかで、 観光事業や幹線道路の拡幅、また、村を 周回する山道には、別荘がたち、分譲地の幟が風にゆれる時代となった。1991年から再びカメラは 動きだした。 かつて、トチの実を深山から運び出し、マチヘ 売り出す運搬用の麻製の袋を「八尺袋」という。各家には、柿澁や藍で染められた袋が大切に残されている。八尺の布を90度ねじり縫いつけていくところからネ ジリ袋とも呼ばれ、魅力的なデザインとなっている。この構造は、精米時のガッタリ袋や時米袋にも共通している。実を入れると円筒形になり、山道ではオイナ ワを使って縦に負い、マチヘの運搬にはひと袋を横に、ひと袋をさらに縦に重ねて運んだ。 木綿が普及するまで、麻が主な衣類として自家製で作られていた。 麻布のことを「のの」と呼ぶ。雪が解け春になると、麻は1軒に4~5畝ほど栽培され、織りにいたるまで、村の女たちの仕事である。 針畑で生まれ、93才で他界し た1人の女性「ハル」さんの映像記録 から映画は始まった。彼女は、亡くなる数カ月前まで、天候のこと、 畑のこと、家族のこと、村のことなど、家計簿に1日1 行の日記を残し ていた。昭和61年から平成5年までの日記が見つかる。その日記には、私たちがムラの暮らしの記録をすすめたちょうどその時期に、1 日1日の暮 らしぶりが、四季の移り変わりとともに記されていた。 映画は、麻製の衣類や八尺袋ができる1年の仕事の流れと、山村で 生涯を終えた女性の日記を織り込み、 針畑のあたたかな人と動物と草木の交流を描く。この記録が地域に根づいた生活文化財の再評価と現代の自然環境と遊離した都市環境のおかれている状況をみつ めなおす手がかりになることを願う。1991年から1999年までの記録。
 
2001年

「シナリオ「ハルとのの」」(京都精華大学紀要 第20号)

 
2001年

「ハルとのの」英語字幕版 朽木村針畑の生活記録5(VHS color 55 分)

 
2003年

「古屋の六斎念仏」正面編 側面編 朽木村針畑の生活記録6(DV color 41分)

 古屋の集落では 、盆の精霊供養として、旧暦の14日夜10時ごろから、上から順に一軒一軒まわり夜明けまで踊られた。イッテンガエシ、オヒヒャル、ミコノマイ、シシ、オカサ キ、カグラの6曲に念仏から和讃、後念仏で構成。太鼓3人(踊り手)、笛2人、鉦2人である。時に狂言も演じられたが、1980年代までのこと。
現在は、玉 泉寺で続けられている3演目(オヒヒャル、ミコノマイ、イッテンガエシ)。ウチアゲ、ロクダン、後念仏までの収録。
 
2011年

「ワキノタン―スカリ編」朽木村針畑の生活記録7(HDV color 45分 )

 「ワキノタン」 の一編として、スカリの製作工程を再現、記録したものである。針畑では、メンツなどを入れる麻製のスカリは2種類ある。池田トマさん(明治10年~昭和38年) の作ったスカリが重宝され、いまも多くの家に大事に残されている。孫の上野アヤノさんは、トマさんの手仕事をそばでながめながら育ち、当時の麻(苧)を使 って再現していただいた。
2008年から2010年までの記録。
 
2013年

「ワキノタン」朽木村針畑の生活記録8(HDV color 123分)

 1974年、朽木針 畑を訪ねていらい、世代をつなぎ温かい交流をこれまで続けられた。 ムラは稲ワラやべべの実、麻に託す精神性のなか 日本の基層文化をもち、暮らしをささえ た豊かな森の生命力に包まれている。 この作品は針畑生活記録の総集編として、『ハルとのの』(2000年)以降、2013年までの記録。
一篇 「森と水」/森 の生命を包み込む木々と水
二篇 「谷の恵み」/村の暮らしをささえた家族と谷のかかわり 
三篇 「トマばあとスカリ」/里のくらしの食と 伝承の力
四篇 「つながり」/草も木も虫も、つなぐ祈り
で構成されている。
トチノキやタヌキと話ができたムラは豊かだった。